2013/10/22

かわいい猫動画に癒される

久しぶりにyoutubeで可愛い猫ちゃんを発見!

最近、猫を飼っている人の間では、「わが子が一番」とばかりに、
youtubeなどに愛猫の動画をアップするのが流行っているそう。

家族の単位が縮小し、子供の数も少なくなったり、
また人付き合いがデジタル化傾向にある世の中も反映してか、
ペットにぬくもりを感じ、ペットを「家族」の一員とみなす傾向は、
より強まっているように感じる。

ところでこの猫ちゃん、鏡に映って3匹になった自分を
すご~い不思議そうな表情でじ~っと見つめているが、
その表情や動作が何とも可愛い!

この猫ちゃんの名は"Maru"というらしい。
その名のとおり、ちょっと丸っと太っているが、
この丸っと太っているのがかえって雰囲気に合っている。

3匹のねこ?-Three Marus?-
https://www.youtube.com/watch?v=RxoZ-AZKpX8

とっても癒される、かわいい動画です。
(こんな猫ちゃんがいたら、ずっと家の中から出たくないだろうな。)




 

2013/03/06

ネットやケータイは便利だが・・・

多忙な毎日が続き、久しぶりのブログ更新。
しかし、私がここしばらくブログを更新していなかったのには、もうひとつ
理由がある。それは、最近、インターネットにはまりすぎる生活はできるだけ
送らないように心がけているからである。

今やインターネットや携帯は、現代人の日常生活に欠かせないツール。

たしかにこれらは便利なツールで、とくにインターネットは、これは私たちの
日常生活に大きな利便性をもたらしたことは間違いない。
実際、こうした新しいメディアが普及したからこそ、企業なんかにおいても
単純労働にかかるコストや人件費の削減が可能になったわけだし、個人の
日常生活においても、web上で公共料金を支払ったり、銀行の決済を済ませたり
なんかといった各種の処理も可能になった。また、家族と遠く離れた場所に
住んでいたり海外に滞在していても、家族や友人との連絡を取り合うことも
容易になったため、海外暮らしでカルチャーショックやホームシックに陥る
ということも昔に比べてめっきり少なくなった。もはや、これらがない生活は
考えられない、成り立たないという人は多いだろう。

ただ、インターネットは、あまりにハマりすぎると、逆に不健康な、不便なツールにも
なりうる。なぜなら、遠く離れているのならともかく、近くにいる人との間ですら、
会って直接話せば10分で済むことを、30分、1時間かけて文章を作成してメールを
送信する必要が出てくるからである。私が知る例だと、同じ職場で、すぐ見える
ところに相手の席があるにもかかわらず、こんなことまでメールにして伝えなきゃ
いけないのか、と思うような次元のことまで、いちいちメールにして送っている
ケースもあった。これこそまさに、時間のロス。いくら時間があっても足りない
ことになり、よけいに人を忙しくさせてしまう。

たかがメール、されどメール。
メールの文章って、微妙なニュアンスをいかに相手にきちんと伝わるように
的確に表現するか、けっこう頭を練らなければならない。とくに「行間を伝える」
「行間を読む」ことが求められる日本語なら尚更。それに、何か物事に集中して
いるときにメールの着信音が鳴れば、それで作業が中断されてしまいかねない。
利便性と不便さが紙一重ということは、まさにこのことを指すのである。

なので、私も以前は結構長いメールを書く傾向もあったのだが、最近は
メールはあまり長く書かないようにしている。そのせいか、最近はメールを
書く回数もめっきり減った(ように思う)。

直接会って対面して話すのと、メールによるコミュニケーションは、それぞれ
一長一短である。そんなこと言われなくても分かっている、当たり前と思うかも
しれないが、現代人は案外これらを上手く使い分けることができていない。
それゆえに、ネットにハマりすぎることで人との付き合いがかえって疎遠になって
孤立化して鬱になったり、ネット中毒になって、ネットサーフィンで一日があっという
間に過ぎて行ってしまい、勉強や仕事に支障が出たりすることになりかねない。
(お隣のIT大国である韓国では、すでに「ネット外来」なるものができていて、
大繁盛しているそう。)
こういう話題を出すと、「昔はテレビとの向き合い方に対して同じようなことが
言われていた」と言い出す人もいるが、ネットや携帯はテレビに比べて「個人化」
したツールであるだけに、よけいにこうした状況をもたらしやすい。

ネット上でのやりとりと直接会った上での対面でのやりとりは、時と場合によって
うまく使い分けることが大切。地域社会やコミュニティの衰退が言われるように
なって久しいが、こうした状況が顕著になってきたのは、何も地域社会の高齢化や
過疎化といった要因だけが原因なのではない。こうした要因以外にも、人々の
ライフスタイルがデジタル化し、アナログな交流や人付き合いが少なくなったのも
その一因ではないかと考えられるのである。