2015/05/27

川崎中1殺害事件の教訓を無駄にするな

今年2月、川崎で起きた当時中学1年の上村遼太くん殺害事件から3ヶ月が過ぎた。
この事件は、被害者がとても残忍な殺され方をしたという点で日本中を震撼させ、
海外のメディアでも報道されたほどである。また、事件を読み解いていく上で
浮かび上がってきた川崎市川崎区の土地柄、女性(シングル・マザー)の貧困、
そして子どもの教育や少年犯罪の防止において、行政・学校・地域・家庭の連携が
いかに重要な意味を持つかを示すものであったという点においても、社会に
たいへん大きなインパクトや教訓を投げかけている。

事件の経過などについては、すでにあちこちのメディアで取り上げられているため、
ここではあえて詳しくは触れないが、被害者の上村くんは、上村くんが5歳の時、
父親が漁師になりたいとの希望から島根県西ノ島にIターン移住した。しかし、
移住して3年ほどたった頃に夫のDVにより離婚(上村くんが小学3年生の頃)、
母親が子ども5人を引き受けて育てていたが、生活が苦しかったため、2013年の
小6の夏に母親の実家のある川崎の小学校に転校した。上村くんは大好きだった
西ノ島に残りたかったようであるが(川崎に引っ越してわずか2週間ほどで、一度
西ノ島に戻ってきたというエピソードもある)、前向きで明るい性格だったので
一生懸命に新しい環境になじもうとした。結果、転校先の川崎でも持ち前の
キャラクターから一気に人気者になり、中学に上がると大好きなバスケ部にも
入って活躍した。

しかし、上村くんが中1の2014年の夏が過ぎたあたりから様相は一変する。
上村くんは、バスケの仲間が紹介してくれた人たちと交友関係を持つようになるが、
それが近所でも有名な不良グループであり(おそらく当初は上村くんは不良と
気付かなかったか、気付いていたとしても、まさか後々こんな羽目になるとは
想像もしていなかったのだろう)、付き合う仲間が悪くなったことから、髪型や
素行にもやや変化が現れるようになった。秋頃からは学校も休みがちになり、
大好きなバスケ部もやめてしまうことになる。そして仲間からは万引きを強要
されるようにもなったが、それを拒否すると暴力を振るわれるようになり、
暴行がしだいにエスカレートしていき、仲間から抜け切れなくなった。

上村くんは、事件の1、2ヶ月前から「仲間から抜けたい」「殺されるかもしれない」と
周囲にたびたびメッセージを投げかけていた。にもかかわらず、それが周囲の
大人たちに行き届かなかった(いや、行き届いてはいたけれど、学校や地域は、
面倒なことに巻き込まれたくないからと無視していたといった方が適切かもしれない。
なぜならば、担当の教師は何度にもわたって上村くんの母親に電話をかけていた
らしいが、肝心の校長などはほとんど関与していなかったことが明らかだったから
である)。そしてついに2月19日の深夜、上村くんは、仲間の一人から主犯格が
いることを知らされずにLINEで呼び出され、激しい暴行を受けた末、残念な結末と
なってしまったのである。殺害現場の様子を聞き及ぶごとに、なぜ何の罪もない
上村くんがこれほど残忍な殺され方をしなければならなかったのか、ほんとうに
かわいそうで残念でならない。
(全く面識のない見ず知らずの第三者の自分でも、悲しくて涙が出るほどである。)

この事件をあらためてふりかえると、上村くんは、西ノ島という小さな島で皆兄弟
のような環境で育ってきたわけであるが、人見知りをせず周囲に自分から入って
いく子だったという。しかし、その純朴で素直な性格が(屈託のない、きらきらとした
可愛らしい笑顔の写真がそれを物語っている)、川崎ではかえって災いすることに
なってしまったのだろう。結果論であるが、西ノ島から川崎に移ってこなければ、
不良グループにも出会うこともなく、こんな目に遭うことはなかったであろうだけに
今回の事件は非常に悔やまれる。今回の事件から、子育てや教育をする環境が
いかに大事かという点にあらためて気付かされた人も少なくないだろう。
上村くんも、こうした環境に放り込まれなかったら、とてもいい子に成長していくはず
だったに違いない。今、日本ではあちこちで物騒な事件や殺害事件が起きているが、
こうした上村くんの生い立ちや事件に至るエピソードも考慮に入れると、これほど
被害者がかわいそうに感じられ、またこれほど加害者が憎らしく、腸が煮え返るような
思いをした事件はない。

この事件の背景要因については、事件現場周辺に特有の土地柄や、シングル・
マザーの厳しい経済状況と社会的立場の弱さ、そして母親の対応ぶりなど
さまざまな要因が指摘されているが、もう少し学校や地域がきちんと目をかけて
適切な対応をしていれば、少なくとも最悪の事態は逃れることができたように
思われる。事件当初、メディアでは上村くんが暴行を受けていることに対する
母親の無責任さや放置状態が指摘されていたが、その後の警察による取り調べで、
上村くんの母親は、ちゃんと学校や警察に相談を繰り返していたことが明らかに
なっている。捜索願が出ていたからこそ、今回、川崎の河川敷の事件での被害少年が
上村くんだとすぐに特定できたのである。この事件が起きてからすでに3ヶ月が経過
しているにもかかわらず、上村くんの殺害現場には今でも全国から献花に訪れる人が
絶えないと聞く。このことは、この事件の無念さを自分のこととして等身大に受け止めて
いる人たちがいかに多くいるかということを物語っているといえよう。

容疑者3人の少年の逆送が決まり、成人同様刑事裁判にかけられることになり、
これから裁判員裁判が行われる予定だという。そういう意味で、展開はまだまだ
これからであるが、「少年法」によって減刑された少年たちの再犯率は高いことは、
1989年に東京足立区で起きた「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯格らなどに
よっても十分に証明されている。18歳といえば、たしかにぎりぎり未成年かもしれないが、
もはや成人同様の判断力もあるし、悪知恵も働く年齢である(現に主犯格は別の
傷害事件での保護観察状態を解かれたばかりで、どうやったら刑を逃れるか、
減軽されるか、そのすべを知っているようなことを周りに吹聴していたそうである)。
ましてや今、選挙権の年齢引き下げとかも議論しているくらいなのだから尚更である。

上村くんの死が問いかけた教訓を無駄にしないためにも、そして「第二の上村くん」を
出さないためにも、今後の裁判の展開を注意深く見守っていきたい。