2012/10/06

大学生になっても保護者懇談会だなんて

最近、多忙な状態が続いていたため、約3ヶ月ぶりのブログ更新。

日本の大学の中等教育化がいわれて久しい。たとえば、学生の相対的な質の低下を直視し、
高校で扱うような内容の補習的な授業科目を設置するなど、「リメディアル教育」を導入する
大学が増えていることはもちろんだが、大学と学生との関係も、高校の延長線上のような
感じが出てきていると感じるのは何も私だけではないだろう。

今日、日本の大学進学率はすでに50%を超えるようになっている。つまり、大学は、すでに
高校卒業生の2人に1人は進学する大衆教育機関となっているのである。大学生に相当する
年齢層の人口が減っているにもかかわらず、高校卒業生の2人に1人が進学する機関に
なっているということは、日本の大学は、とっくにユニバーサル化の段階に入っていることを
如実に意味している。大学は、すでに20~30年以上前のように、「進学校」とよばれる
一部の限られた特定の高校の生徒のみが進学する教育機関ではなくなっているのである。
そしてまた、社会のありようが変われば、当然、大学もそれに合わせて変質していかざるを
得ないのは、いまさら強調するまでもない。

それゆえに、大学が学生に対して過保護傾向になるのはやむを得ないのかもしれないが、
最近、私が驚いていることの一つに、保護者(父兄)懇談会なるものを実施する大学が
増えていることである。実はこの保護者懇談会なるものは、ついに、ウチの大学の、
私が所属する学部とは別の学部でも実施することになったようで、大学がある意味学生に
対して「冷たかった」頃の時代の大学教育を受けてきた自分にとってみれば、まさに隔世の
感がある。「大学生になっても保護者懇談会とは何だかな」と思ってしまう。
しかも、東大でさえも、今では父兄対象の懇談会を実施しているというから、日本の大学の
中等教育化はついにここまで来てしまったのかという感をぬぐえない。

しかし、この保護者懇談会なるものに疑問を感じ、懸念を抱くのは、何もこうした理由だけ
からではない。その理由は大きく二つある。

一つは、日本の場合、大学に進学する学生の主な年齢層は、18歳から22歳である。
18歳から20歳まではたしかに法律上でも「未成年」であるが、20歳以上は「成人」である。
この「成人」を超えた学生に対して「保護者」といういい方は、なんか違和感を感じる。
それでも、新入生や大学1、2年生対象なら法律的にも「未成年」に区分されるから
まだ分からなくもないが、3年生、4年生になっても「保護者」懇談会って、なんだか
いつまでも大学が学生を子ども扱いし、こうした法的な概念と照らし合わせると
矛盾しているようにも思われる。
(さらにいえば、「保護者」と命名するならば、飲酒も当然禁止されるべきであろう。)

そして二つ目に、こうして大学が保護者懇談会なるものを開催することは、他方で、
ますます子どもの親離れする年齢を引き伸ばし、また、逆に親の子離れを阻止する
ことにも繋がりかねない。最近、「モンスターペアレント」の存在があちこちで聞かれる
ようになり、子どもがいつまでたっても親離れできないだけでなく、逆に子離れできない
親が増えていると聞くが、こうした保護者懇談会なるものがこれ以上あちこちの大学で
開催されるようになれば、そうした動きをますます助長するようにもなりかねないのでは
ないだろうか?現に、大学入試はおろか、就活での面接や子どもの就職先の入社式に
まで親がくっついてくる時代になっているくらいなのだから。

大学とは、いうまでもなく義務教育ではない。たしかに、昔に比べて大学は大衆化し、
望めば誰でも行けるような時代になっているから、そのような観点からいえば、今は
実質的には義務教育に近いような側面も出てきている。とはいえ、大学とは本来、
そこで学びたい者だけが自己の意志や選択に基づいて行くべきところである。
この大学本来の趣旨や根幹は、大学の位置付けや社会における役割がいかに変化
しようと、決して揺らぐべきものではない。

たしかに大学が中等教育化し、社会における位置付けが変わりつつあるなかで、
大学もいろいろ苦肉の策を考えなければ生き残りが苦しい時代に入っている。
このような「大学受難の時代」に入れば、これまでとは何か異なる工夫や取り組みが
大学としても求められるようになってくるのはやむを得ない。おそらく各大学側も、
学生の親に対し、「これだけ学生の立場に立った教育や指導を熱心にやっている
んですよ。だから安心してくださいよ」ということを伝えたくて、こうした保護者対象の
懇談会を設けているのだろう。しかしながら、ケアの良さを強調したいのであれば、
もう少し別の方法がありうるのではないだろうか。大学が率先して保護者懇談会
なるものを実施するというのは、上のような理由から首をかしげざるを得ないのが
正直な実感なのである。

2012/07/03

もうひとつのアカハラ?

この週末、某学会に行って来た。
この学会でも、年配女性の某先生を姿を見た
この先生、いつも一人で学会に足を運んでくる。

私とこの先生は、関心が少し近いせいもあって(あまり細かくいうと、この業界、すぐに特定
されてしまうので、具体的な専門分野についてはあえて言及しないでおく)、私が足を運ぶ
学会、そして参加する部会やセッションには、だいたいいつもこの先生もいて、ふと出くわす
ことが多いこの先生は、この業界では比較的有名な部類に入る先生である。

しかし、この先生は、学会で発表者に対して割と容赦のない厳しい質問を投げかける傾向が
あるので、私は個人的にこの先生を何となくあまり好きではなかったが、今回、そうした思いを
よけいに強くさせてしまう場面を見てしまったのだ。

ある若い院生の発表の場面。
最近は、院生といってもいろいろだが(学部からストレートで進んできた者だけでなく、
白髪交じりの風貌の明らかに中高年の院生もいる)、この報告者は前者のタイプ。
おそらく博士課程一年目か二年目くらいの院生と見えた。

この報告者の発表は、「100人を超える人にインタビューをした」といっているにもかかわらず、
それらの基本属性などの概要が示されていないこと、政府統計の分析が2005年頃で止まって
しまっていることなど、正直、私自身もちょっといまいちな発表と感じてのだが、何と、
この某先生が、この発表者に対して、こうした指摘も含めた厳しい質問をズバズバ投げかけ
始めたのである。

それだけなら、「この先生、ずいぶんきつい質問するなあ」で済む話である。この手の人は
どこの学会とかに行っても必ずいるものだろうし、別にどうってことない。しかし問題は、
その報告者がこの某先生の質問に答えた際に、おそらくその回答がこの某先生にとって
納得のいくものでなかったようで、この某先生は会場にいる他の参加者の目にも明らかに
分かるような素振りで、首を横に振って投げやりな態度を示し始めたことである。
こういうのって、今の時代、見方によってはアカハラに該当しかねない行為にも読み
取れるだろう。)

たしかに学会という場で報告する以上は、最低限の水準当然求められるだろう。
しかし、よく考えてみれば、相手は院生、つまりまだ学生なのである。ポスドクや
専任教員など研究歴の長い者と比較して、院生のそれ未熟なのは言ってみれば
当たり前のことであり、それを鼻っから「上から目線」のような態度で接するのは、
良識を疑わざるを得ない。たしかにその報告者の報告のレベルがその先生の目に
かなうようなものでなかったにせよ、その辺は多少差し引いてみるべきであり、
会場にいた他の参加者の中にも、同様の印象を持った人は少なからずいたに違いない。
これが同じ院生仲間の間で繰り広げられた展開なのならともかく、この場合、
報告者である院生の発表そのものの未熟さよりも、むしろこの先生の態度の方が
目立ってしまう形となってしまい、結果として問題視されかねない。

もし、「上から目線」のような態度を示すのであれば、その発表者を非難するような形で
質問するのではなく、発展的改善意見を提起するような教育的な配慮も含めた観点から
質問やコメントを投げかけるというのが、本来ではないか。学会で一定の評価を得ている
高名な先生であるならば、よけいにそうであってほしい。
あるいは、そのセッションが終わってから、その発表者のところに個人的に行くなりして、
そうしたことを指摘すべきである。そのくせに、この某先生、自分が「なかなか」と思った
発表者に対しては、そのセッションが終わった後、自分の名刺を渡しにいくのだから、
よけいに「なんだかなー」と思ってしまう。(こんな先生に、学会のコメンテーターだとか、
論文の査読なんかがあたってしまったら最悪。)

いくら研究者として一定の地位を確立している有名な先生でも、こういう先生は私は好きに
なれないし、尊敬はできない。自分は将来、こういう人にはなりたくないなあという感を
強くした今回の学会の一場面であった

2012/04/30

えっ、東京女学館大学がなくなる?

ついさきほど、東京女学館大学が受験生の減少と定員割れが続いていることを理由に、
来年度から学生の募集を停止し、2016年3月に閉校の方針を発表したという記事をみつけた。

東京女学館、閉校へ 来年度から募集停止
http://www.asahi.com/national/update/0430/TKY201204300224.html

東京女学館といえば、戦前につくられた由緒ある女子校で、附属の小学校から持った
学校である(ちょっと調べてみたところによると、この学校は明治時代中期、新興華族など
名士のお妾さんやそのお妾さんのお嬢様を大手をふるって教育するために、伊藤博文
などが尽力して創った学校なんだとか)。この記事を見て、東京女学館のような伝統校でも、
女子大はどこも経営が厳しいんだなということを実感した次第である。
まさに「女子大厳冬の時代」とでも言おうか。

そういえば、数年前にも、ちょうどやはり東京女学館と似たような女子の伝統校である
山脇学園も短大が閉校になったのを思い出す。

日本では、90年代半ば以降、「一般職OL」という職域の消滅とそれによる女性のライフ
コースの変化、そして少子化によって女子を四年制大学に進学させることのできる
家庭の増加などを背景に、女子の四大志向へのシフトが起こった。こうした動きに乗じて、
女子短大を持っていた学校が、その短大を四年制大学に改組・昇格させたり、他方で、
地方都市に多い、事実上女子の高等教育機関として機能していた公立短大も、県立
大学などに吸収合併されるケースが全国的に相次いだ。後者のケースは、四年制大学に
移行後、その対象をとりわけ女子のみに特化していないということもあってか、四年制
大学に移行後もそれほど大きな問題がなく展開できているものの、私立の女子高等教育
機関で、かつて女子短大だったところが四年制大学に移行した女子大学で、成功している
ケースは実は意外にも少ない。

その一因として考えられる理由については、以前、このブログの「岐路に立たされる
『日本型お嬢様大学』」http://skchura.blogspot.jp/2011/07/blog-post_12.htmlにおいて、
少し関連する内容を取り上げたこともあるので、ここではあえて詳しくは触れないが、
大学受験人口の減少と女子受験生の共学志向といった要因以外にも、ひとことで
いってしまえば、こうした学校は世間でいう所謂「お嬢様学校」とよばれるところなので、
(小)中高はともかく、高等教育機関は、とりわけ日本社会の文脈においては、
短大であってこそその価値を発揮できてきたのだといえるのだろう。

自分が知る範囲内でも、G女子は短大から四年制に移行して、少なくとも入試偏差値が
それほど低下せず、移行前のステイタスをほぼそのまま維持できたという意味において
そこそこ成功した数少ない例といえると思うが、東京女学館をはじめ、TE女学院やK女学園、
関西のO女学院など、四年制大学に移行していまいち振わなくなったケースの方が多い。
ただでさえ女子受験生の間で女子大の人気が低下している今日、山脇学園は、こうした
事例もひとつの教訓として、あえて四年制に移行する道を選ばなかったと聞いているし、
東京女学館の今回の選択も、これ以上、「キズ」が深くなるまえに手を打ったのだと見る
こともできる。

今の日本の大学、そして女子大学を取り巻く現状から考えて、今後、日本の多くの女子大は、
①共学化するか(実際、大阪女子→大阪府立、高知女子→高知県立、広島女子→県立
広島など、かつて全国にいくつかあった公立女子大は、すでにそのほぼ全てが近隣の公立
大学に吸収合併されている)、②今回の東京女学館のように閉校するか、いずれかの選択を
取らざるを得ないことになるものと予測される。しかしながら、これまで理系や実学・資格系の
学部・学科を持ってこなかった文学系・教養系のみの学部学科構成の女子大、またはミッション
系の女子大や世間で「お嬢様学校」とされてきた女子大の多くは、設立当初からもっぱら女子
教育に特化してやってきたという「プライド」から、この②の今回の東京女学館と同じような
選択を取るケースがさらに増えてくることは想像に難くないだろう。

自分の勤務先の大学も中学から大学まで持っているが、大学には、かつての短大が
母体となっている学部もある。また、偏差値的にも、バブル期までは全国的にもそこそこの
レベルにあり、私立女子大としては結構高い位置をキープしていたものの、最近は多くの
女子大と同じように、受験生の減少傾向が出始め、昔のOGには申し訳なくなるほど凋落
傾向が大きい(現に極端な例だと、学生が就活でOGを訪問しようとしても「私たちの頃とは
学生の質が全然違う」として断られるケースも出ているそうなのである)。

にもかかわらず、法人側の理事長は「私どもは絶対に共学化しません。永遠に女子大を
堅持します。今の時代だからこそ、あえて女子大にこだわりたいのです」などと言い張って
いる。実際、10年ちょっと前に、近所の同じ宗派のキリスト教系の学校で、今でこそこの手の
学部学科を持つ女子高等教育機関が急増したものの、当時は全国的にもまだそれほど
多くなく、この分野においてはそれなりの実績を持つ女子の資格・実学系専門の某短大から
合併を打診されたことがあるらしいが、聞くところによると、それを当時のウチの理事長が
断ったらしい。その後、そこは四年制大学に移行して共学化し、この大学受難の時代に
おいて受験生や入試難易度を順調に伸ばし、学生の就職などもなかなか堅調で、ウチと
競合する専攻においてはすっかりその地位が逆転してしまっている。おそらく当時は、
ウチの側からすれば「あそこと合併するだなんてとんでもない」という感覚だったんだろうが、
今じゃ逆に、ウチからお誘いをかけても、かえって向こうの方が断ってくるんだろうな。
先見の明がないというか、結果論だが、今考えれば勿体ないことをしたものだ。昔よかった
時代の認識やプライドをなかなか捨てきれないがために、かえってそれがアダとなって
しまった形である。おそらく伝統校や「お嬢様学校」とされる女子大ほど、こういう過去の
栄光へのこわだりというか、なんだかんだ言ってもそこからなかなか認識の転換ができない
ことが、逆に今の時代に足枷になってしまうのだろう。

それゆえに、今回の東京女学館のニュースは、正直にいって他人事に思えない部分も大きい
のが正直な心境なのである。

2012/03/18

学術学会の事務処理体制と加入意義を再考する

早いもので3月も中旬を過ぎ、もうすぐ新年度。
私は現在のところ、5ヶ所程度の学会に入っているが、このなかには、会費に見合った
メリットや意義があまり感じられないような学会もあるので、この辺で、自分の
研究者としての立ち位置を今後どのように売っていくか、今後どのような人たちと
お付き合いしていくか、その戦略を見直す意味も含めて加入学会を見直そうと思い、
仮に退会する場合、どのような手続きが必要になるのか、最近、何ヶ所かの学会に
問い合わせをした。

そこで、学会事務担当宛にそうした趣旨のメールを送ったところ、2ヶ所の学会から、
「このメールでもって退会処理をさせていただきます。ありがとうございました」というような
文面が返ってきて、その対応というか手続きのあっけなさに、かえって拍子抜けしてしまった
次第である。「おいおい、ちょっと待てよ」と。この学会は、私をそんなにやめさせたがって
いるのかと。

会費を納めなければならない時期はまだまだ先なのだから、今納めている会費が効いて
いる間は入っていた方が得なのはいうまでもない。今は、あくまで「辞めることを考えて
いるが、もし辞める場合はどのような手続きがいるのか」という確認をしたまでの話である。
そこで、そのことをあらためて伝えたら、今度は「飛躍した解釈をしてしまいまして、申し訳
ございませんでした」だって。まったく危機一髪、焦ったよな~。

学会とは同列には語られないが、これをもし企業や職場組織にたとえるなら、
総務担当部署に「辞めたいと考えているのだが、辞める際の手続きを確認したい」と
申し出たところで、「はい、じゃあ、これであなたは退職と扱います。さようなら」といって
いるのと同じことである。

今回、このような対応が返ってきた学会は2つ(日本S学会、AS学会)であるが、
いずれにも共通しているのは、1)大所帯の学会であること、2)外部に事務処理を委託
していて、実際に学会の役員は事務処理には基本的にノータッチであること、である。

こうした大手の学会は、入会する際にはそれなりの手続きがいるものだが、
辞める場合には、メール一本でできるなんて、ずいぶんとあっさりしたものだ。
学会や学問の世界なんてそんなものなのか。

メール一本であっさりと退会処理ができるなら、極端な話、本人から送られたメールで
なくてもできることである。これがもし、いわゆる「なりすまし」のような、誰か他の第三者から
送信されたのものであったとしたら、どうなるだろうか。今回の私の件に限らず、学会側は、
いくら事務処理を外部に委託しているとはいっても、しっかりと本人に電話を入れて本人
確認をするなどして、もう少し対応や処理を慎重に行うべきであろう。少なくとも、会員として
毎年会費も納め、それなりに学会の維持・運営に寄与しているのであるから、メール一本で
あっさりと退会処理を進めるとはあまりにも無情である。

こういう大所帯の学会は、論文を投稿したりできる機会も少なく、学会に行っても、
いつも決まったような特定の人たちだけが縄張りを張っていて、けっこう居心地が悪い。
ゆえに、学会の場に足を運んでも、そこでの議論もどことなく表面的で、本当の意味で
発展的な議論ができたと感じることが意外にも少ないものである。メリットといったら、
あくまでそこで発表できることくらいか。それと、一応、その学会に属しているということで、
自分もそこの業界の人間なんですよというアイデンティティを曲がりなりにも持てること。
なので、自分の経験上、むしろ、ほどほどの規模の学会やほどよく小さな研究会の方が、
共同研究の機会や忌憚のないコメントなどをもらいやすく、そっちの方が研究活動を
進める上で為になることや、自分が研究者として飛躍できるチャンスに繋がることが多い。

今はネットが発達し、どこの学会でもホームページを持っていて、主な情報はだいたい
そこから入手できるようになっている。そのため、昔と違って、学会に足を運ばなければ
情報が入ってこないという時代ではない。それに、年に1回(学会によっては2回)の学術
大会や研究会は、何もそこの学会に入っていなければ参加できないということはないし、
学会員だって、非学会員と同様に大会や研究会に参加すればしたで、多少の割引は
あるにせよ、参加費は普通に徴収される。このような環境の変化のなかで、学会に
加入することの意義は以前に比べて相対的に小さくなっていっているように感じられる。

ということで、その人の考え方にもよるが、学会はそんなに多く入る必要はない。
何せ、7ヶ所も8ヶ所も入れば、年会費だけでもバカにならない。それだけのもとが
とれるならともかく、多くの場合はそうではない。学会はせいぜい2、3ヶ所で十分である。
その数ヶ所の学会とじっくりとよいお付き合いをしていく方が、戦略上でも賢いやり方であり、
研究者としてのキャリアの積み重ねに繋がっていくのではないかとあらためて思うのである。

2012/03/10

変化の著しい東アジアの社会と若者

このほど、勤務先の大学の日本語教員養成課程の学生実習引率の関係で台湾に行ってきた。
私の勤務先の大学は、台湾の有名私立大学であるF大学と協定関係を結んでおり、
その関係から、そこの大学の日本語学科で日本語を専攻する学生を対象に、毎年、
この日本語教員養成課程を履修する学生が日本語教育実習を行っているほか、
この台湾のF大学からも長・短期の留学生を受け入れている。

そこで、そこの学生たちや、街で行き交う学生たちを見ていて思うのは、若者の志向や
価値観が年々、良くも悪くも日本と似たようになってきていること。

少なくとも、90年代末までの台湾は、たしかに外見は一見日本人と似ている ようではあっても、
実際に話をしたり接してみると、自分の「国」の将来や 政治についても敏感でよく考えており、
日本の若者には見受けられないような気骨や逞しさのようなものが感じられることが しばしばあった。しかし最近は、服装など外見だけでなく、 台湾でも若者が「草食化」してきており、
良くも悪くも日本の若者と変わらないようになってきている。

その背景には、インターネットや携帯電話の普及など、メディア環境の 劇的な変化が後押し
していることはもちろんであるが、これ以外にも、 とりわけ台湾の文脈に照らして重要な点として、1990年代末以降、 地下鉄の路線の発達など交通インフラの急速な発達以外にも、
今の台湾の大学生は、もはや1987年の戒厳令解除以降に生まれた世代に 移行している
ように、台湾史のなかで重要な歴史的ターニングポイントとなる 時代を経験していない世代になっていることが指摘できる。

台湾について多少なりとも調べたことのある人なら、台湾社会は、 1987年の戒厳令解除に
伴って、1980年代末から1990年代初期にかけて 社会の文脈がガラリと変わったことは
周知の事実であろう。 1987年に戒厳令が解除されるまでの台湾社会は、国民党による一党
独裁政治が行われていたことから、社会には常に政治的な緊張感が漂っていた。
また、そうしたなかで、いわゆる「本省人」(1945年以前から台湾に住んでいる 漢民族)と「外省人」(戦後台湾に渡ってきた漢民族)のエスニック対立の構図が 根強く存在し、
それが政治のみならず、人々の思考や生活空間をも大きく 規定してきた。

しかし、今や台湾では、1987年以後に生まれた世代が大学生になっていることもあり、 この戦後台湾における「本省人」対「外省人」というエスニック対立の 決定的発端となった1947年の「2・28事件」さえ、ろくに知らない若者が増えて きている(まあ、もっとも、「外省人」の親はこの歴史的事件を迂闊に子どもに 教えたがらない傾向にあるから、台湾の今の若い世代があまりこの事件のことを 知らなくなってきているのも、無理もないのだろうが)。

このことは、ちょうど今回、2月28日前後に台湾に滞在していたこともあり、 台湾のメディアでも
大きく報じられていた。日本では、最近の若者は歴史を知らないこと、 歴史に無頓着である
ことが何かに付けて批判の対象となる向きがあるが、同様のことは今、 台湾でも起きている
のである。(実際に、2012年1月の台湾総統選では、 若者の投票率の低下を指摘する現地メディアもあった。これなどは、 少し前までの台湾ではあり得なかったことだろう。)

目を同じ東アジアの他の国に転じてみれば、同様の現象は中国や韓国でも見受けられる
ようになっている。中国でも、最近は、「80後」(パーリンホウ)といわれる、1980年代以降に
生まれた、いわゆる一人っ子政策施行後の世代、市場経済導入以降に生まれ育った世代が
すでに大学生、そして結婚適齢期に入っている。こうした彼/女たちは、(たしかに愛国主義
教育のもとで日中戦争期の日本に対して厳しい見方をしているものの、)政治に対する信頼や
感心も概して上の世代に比べて薄く、また都市部では消費社会の到来も後押しして、日本の
同世代の若者と同じか、むしろそれ以上に過保護に育てられていることから、日本の若者と
同じような価値観を持つようになり、場合によっては、日本の若者以上に若者の志向が
贅沢になっていることも指摘されている。

このような展開は、決して何も悪いことではないし、逆説的にみれば、過去の歴史に無頓着
であるがゆえに、かえってそれが、日本や台湾、あるいは中国など東アジアの若者同士で、
「目線を同じくした」交流や連帯を促進する上でプラスに働くこともあるのかもしれない。
実際、今の日本の若者も、過去の日本(人)がアジアに対して行った植民地支配や侵略の
歴史をよく知らないからこそ、逆に上の世代が持っていたようなこれらの国や地域に対する
先入観や優越感も小さい。こうしたなかから、新しい発想に基づいた企画や商品ができたりも
するだろうし、「国」のレベルや、従来の認識を超えた親近感さえ育まれる可能性もある。

最近の日本の女子高生や女子大生の間では、携帯メールでハングル文字を使ってコミュニ
ケーションを図るのが「かっこいい」現象となっていたり、韓国人男性との結婚が一つの憧れ
にもなっているそうであるが(ちょうどアジアの男性が日本人女性に憧れるのと同じように)、
こうした認識や発想が出てくるのも、いわゆる歴史に無頓着な世代であるからこそゆえに
成し得る展開であるともいえるだろう。

しかし、生まれ育った国や社会の歴史をろくに知らないという世代が大きく台頭するように
なった日本や台湾、中国、韓国などの将来は、今後どのようなものになるのだろうか。

何かと過去の歴史にこだわりすぎるのもどうかと思うが、やはり過去の歴史に無知な 住民が多くを占めるようになった国というものは、ひとつ気骨のある国にはなって いきにくいだろうし、日本に対する理解や関係も、「きれいな」表層的な次元のものだけに とどまりかねない。
その意味で、そうした世代が社会の中枢を担う世代として台頭してくる(あるいは今後していく)
ようになった東アジアの国々、そして日本とこれらとの関係は決して楽観視できる面ばかり
ではなく、正直にいって、無味乾燥なものになっていきかねないような感も否めないのである。