2012/03/18

学術学会の事務処理体制と加入意義を再考する

早いもので3月も中旬を過ぎ、もうすぐ新年度。
私は現在のところ、5ヶ所程度の学会に入っているが、このなかには、会費に見合った
メリットや意義があまり感じられないような学会もあるので、この辺で、自分の
研究者としての立ち位置を今後どのように売っていくか、今後どのような人たちと
お付き合いしていくか、その戦略を見直す意味も含めて加入学会を見直そうと思い、
仮に退会する場合、どのような手続きが必要になるのか、最近、何ヶ所かの学会に
問い合わせをした。

そこで、学会事務担当宛にそうした趣旨のメールを送ったところ、2ヶ所の学会から、
「このメールでもって退会処理をさせていただきます。ありがとうございました」というような
文面が返ってきて、その対応というか手続きのあっけなさに、かえって拍子抜けしてしまった
次第である。「おいおい、ちょっと待てよ」と。この学会は、私をそんなにやめさせたがって
いるのかと。

会費を納めなければならない時期はまだまだ先なのだから、今納めている会費が効いて
いる間は入っていた方が得なのはいうまでもない。今は、あくまで「辞めることを考えて
いるが、もし辞める場合はどのような手続きがいるのか」という確認をしたまでの話である。
そこで、そのことをあらためて伝えたら、今度は「飛躍した解釈をしてしまいまして、申し訳
ございませんでした」だって。まったく危機一髪、焦ったよな~。

学会とは同列には語られないが、これをもし企業や職場組織にたとえるなら、
総務担当部署に「辞めたいと考えているのだが、辞める際の手続きを確認したい」と
申し出たところで、「はい、じゃあ、これであなたは退職と扱います。さようなら」といって
いるのと同じことである。

今回、このような対応が返ってきた学会は2つ(日本S学会、AS学会)であるが、
いずれにも共通しているのは、1)大所帯の学会であること、2)外部に事務処理を委託
していて、実際に学会の役員は事務処理には基本的にノータッチであること、である。

こうした大手の学会は、入会する際にはそれなりの手続きがいるものだが、
辞める場合には、メール一本でできるなんて、ずいぶんとあっさりしたものだ。
学会や学問の世界なんてそんなものなのか。

メール一本であっさりと退会処理ができるなら、極端な話、本人から送られたメールで
なくてもできることである。これがもし、いわゆる「なりすまし」のような、誰か他の第三者から
送信されたのものであったとしたら、どうなるだろうか。今回の私の件に限らず、学会側は、
いくら事務処理を外部に委託しているとはいっても、しっかりと本人に電話を入れて本人
確認をするなどして、もう少し対応や処理を慎重に行うべきであろう。少なくとも、会員として
毎年会費も納め、それなりに学会の維持・運営に寄与しているのであるから、メール一本で
あっさりと退会処理を進めるとはあまりにも無情である。

こういう大所帯の学会は、論文を投稿したりできる機会も少なく、学会に行っても、
いつも決まったような特定の人たちだけが縄張りを張っていて、けっこう居心地が悪い。
ゆえに、学会の場に足を運んでも、そこでの議論もどことなく表面的で、本当の意味で
発展的な議論ができたと感じることが意外にも少ないものである。メリットといったら、
あくまでそこで発表できることくらいか。それと、一応、その学会に属しているということで、
自分もそこの業界の人間なんですよというアイデンティティを曲がりなりにも持てること。
なので、自分の経験上、むしろ、ほどほどの規模の学会やほどよく小さな研究会の方が、
共同研究の機会や忌憚のないコメントなどをもらいやすく、そっちの方が研究活動を
進める上で為になることや、自分が研究者として飛躍できるチャンスに繋がることが多い。

今はネットが発達し、どこの学会でもホームページを持っていて、主な情報はだいたい
そこから入手できるようになっている。そのため、昔と違って、学会に足を運ばなければ
情報が入ってこないという時代ではない。それに、年に1回(学会によっては2回)の学術
大会や研究会は、何もそこの学会に入っていなければ参加できないということはないし、
学会員だって、非学会員と同様に大会や研究会に参加すればしたで、多少の割引は
あるにせよ、参加費は普通に徴収される。このような環境の変化のなかで、学会に
加入することの意義は以前に比べて相対的に小さくなっていっているように感じられる。

ということで、その人の考え方にもよるが、学会はそんなに多く入る必要はない。
何せ、7ヶ所も8ヶ所も入れば、年会費だけでもバカにならない。それだけのもとが
とれるならともかく、多くの場合はそうではない。学会はせいぜい2、3ヶ所で十分である。
その数ヶ所の学会とじっくりとよいお付き合いをしていく方が、戦略上でも賢いやり方であり、
研究者としてのキャリアの積み重ねに繋がっていくのではないかとあらためて思うのである。

2012/03/10

変化の著しい東アジアの社会と若者

このほど、勤務先の大学の日本語教員養成課程の学生実習引率の関係で台湾に行ってきた。
私の勤務先の大学は、台湾の有名私立大学であるF大学と協定関係を結んでおり、
その関係から、そこの大学の日本語学科で日本語を専攻する学生を対象に、毎年、
この日本語教員養成課程を履修する学生が日本語教育実習を行っているほか、
この台湾のF大学からも長・短期の留学生を受け入れている。

そこで、そこの学生たちや、街で行き交う学生たちを見ていて思うのは、若者の志向や
価値観が年々、良くも悪くも日本と似たようになってきていること。

少なくとも、90年代末までの台湾は、たしかに外見は一見日本人と似ている ようではあっても、
実際に話をしたり接してみると、自分の「国」の将来や 政治についても敏感でよく考えており、
日本の若者には見受けられないような気骨や逞しさのようなものが感じられることが しばしばあった。しかし最近は、服装など外見だけでなく、 台湾でも若者が「草食化」してきており、
良くも悪くも日本の若者と変わらないようになってきている。

その背景には、インターネットや携帯電話の普及など、メディア環境の 劇的な変化が後押し
していることはもちろんであるが、これ以外にも、 とりわけ台湾の文脈に照らして重要な点として、1990年代末以降、 地下鉄の路線の発達など交通インフラの急速な発達以外にも、
今の台湾の大学生は、もはや1987年の戒厳令解除以降に生まれた世代に 移行している
ように、台湾史のなかで重要な歴史的ターニングポイントとなる 時代を経験していない世代になっていることが指摘できる。

台湾について多少なりとも調べたことのある人なら、台湾社会は、 1987年の戒厳令解除に
伴って、1980年代末から1990年代初期にかけて 社会の文脈がガラリと変わったことは
周知の事実であろう。 1987年に戒厳令が解除されるまでの台湾社会は、国民党による一党
独裁政治が行われていたことから、社会には常に政治的な緊張感が漂っていた。
また、そうしたなかで、いわゆる「本省人」(1945年以前から台湾に住んでいる 漢民族)と「外省人」(戦後台湾に渡ってきた漢民族)のエスニック対立の構図が 根強く存在し、
それが政治のみならず、人々の思考や生活空間をも大きく 規定してきた。

しかし、今や台湾では、1987年以後に生まれた世代が大学生になっていることもあり、 この戦後台湾における「本省人」対「外省人」というエスニック対立の 決定的発端となった1947年の「2・28事件」さえ、ろくに知らない若者が増えて きている(まあ、もっとも、「外省人」の親はこの歴史的事件を迂闊に子どもに 教えたがらない傾向にあるから、台湾の今の若い世代があまりこの事件のことを 知らなくなってきているのも、無理もないのだろうが)。

このことは、ちょうど今回、2月28日前後に台湾に滞在していたこともあり、 台湾のメディアでも
大きく報じられていた。日本では、最近の若者は歴史を知らないこと、 歴史に無頓着である
ことが何かに付けて批判の対象となる向きがあるが、同様のことは今、 台湾でも起きている
のである。(実際に、2012年1月の台湾総統選では、 若者の投票率の低下を指摘する現地メディアもあった。これなどは、 少し前までの台湾ではあり得なかったことだろう。)

目を同じ東アジアの他の国に転じてみれば、同様の現象は中国や韓国でも見受けられる
ようになっている。中国でも、最近は、「80後」(パーリンホウ)といわれる、1980年代以降に
生まれた、いわゆる一人っ子政策施行後の世代、市場経済導入以降に生まれ育った世代が
すでに大学生、そして結婚適齢期に入っている。こうした彼/女たちは、(たしかに愛国主義
教育のもとで日中戦争期の日本に対して厳しい見方をしているものの、)政治に対する信頼や
感心も概して上の世代に比べて薄く、また都市部では消費社会の到来も後押しして、日本の
同世代の若者と同じか、むしろそれ以上に過保護に育てられていることから、日本の若者と
同じような価値観を持つようになり、場合によっては、日本の若者以上に若者の志向が
贅沢になっていることも指摘されている。

このような展開は、決して何も悪いことではないし、逆説的にみれば、過去の歴史に無頓着
であるがゆえに、かえってそれが、日本や台湾、あるいは中国など東アジアの若者同士で、
「目線を同じくした」交流や連帯を促進する上でプラスに働くこともあるのかもしれない。
実際、今の日本の若者も、過去の日本(人)がアジアに対して行った植民地支配や侵略の
歴史をよく知らないからこそ、逆に上の世代が持っていたようなこれらの国や地域に対する
先入観や優越感も小さい。こうしたなかから、新しい発想に基づいた企画や商品ができたりも
するだろうし、「国」のレベルや、従来の認識を超えた親近感さえ育まれる可能性もある。

最近の日本の女子高生や女子大生の間では、携帯メールでハングル文字を使ってコミュニ
ケーションを図るのが「かっこいい」現象となっていたり、韓国人男性との結婚が一つの憧れ
にもなっているそうであるが(ちょうどアジアの男性が日本人女性に憧れるのと同じように)、
こうした認識や発想が出てくるのも、いわゆる歴史に無頓着な世代であるからこそゆえに
成し得る展開であるともいえるだろう。

しかし、生まれ育った国や社会の歴史をろくに知らないという世代が大きく台頭するように
なった日本や台湾、中国、韓国などの将来は、今後どのようなものになるのだろうか。

何かと過去の歴史にこだわりすぎるのもどうかと思うが、やはり過去の歴史に無知な 住民が多くを占めるようになった国というものは、ひとつ気骨のある国にはなって いきにくいだろうし、日本に対する理解や関係も、「きれいな」表層的な次元のものだけに とどまりかねない。
その意味で、そうした世代が社会の中枢を担う世代として台頭してくる(あるいは今後していく)
ようになった東アジアの国々、そして日本とこれらとの関係は決して楽観視できる面ばかり
ではなく、正直にいって、無味乾燥なものになっていきかねないような感も否めないのである。