2011/05/16

国の研究者支援制度の申請資格を年齢で制限することは妥当か?

この1週間、科研費の投稿へのアクセスがたいへん集中しております。
それだけ科研費に対する研究者の関心が高いことの現れであるのでしょう。
たしかに、ちょうど平成23年度の科研費の審査結果がすべて出そろった時期ですからね。

前回のブログでは、科研費も、アメリカなどのように審査経過や審査員名を具体的に公表
すべきことや、国民に対する説明責任として、審査に対する不服申し立ての制度を設ける
べきことを指摘しました。

ここでもうひとつ、科研費や国の研究者支援に対する制度のあり方で見直した方がよいと
思われるのは、年齢によって申請資格を制限することの是非についてです。

たとえば、科研費においては、「若手研究」という種目は39歳以下と規定されておりますが、
年齢で申請資格を制限するのはいかがなものでしょうか。

研究者のなかには、社会人やさまざまなキャリアを経たのちにアカデミズムの業界に入る
人だって少なくないはずです。したがって、研究種目への申請資格を年齢で区切るのではなく、
たとえば「ポストについてから○年以内の者」というように、アカデミズムの業界に身を置く
ようになってからの年数で制限する方が、実情を正しく反映できるような気がします。
「若手」の判断基準は、必ずしも年齢によるものばかりとは限りません。

同じような論理から、学振の特別研究員への申請資格も同様にすべきでしょう。
そうすれば、たとえば学振のRPD制度などはわざわざ設けなくてもいいはずです。
(RPDへの申請資格は、子育て中の者、もしくは子育てにより過去数年以内に
研究を中断したことがある者とのことですが、これは極端にいえば国民に対する
プロパガンダにすぎず、逆差別的な制度であるように思われます。この制度が
設けられた背景としての国の説明は、少子高齢化社会や男女共同参画への
配慮ということらしいのですが、そういうことであれば、なぜ介護はその範疇に
はいらないのか理解に苦しみます。)

日本の政府や役人は、競争原理だとか、そういう面ではやたらとアメリカの真似をしようと
するにもかかわらず、どうして、こういうダイバーシティや柔軟なキャリアパス形成に関わる
部分においては諸外国の「進んだ」制度を積極的に導入しようとしないのか不思議です。

大学院への入学などにおいては、社会人などの受け入れを奨励しているにも関わらず、
こうしたところで年齢制限を設けるのはきわめて矛盾しているとしかいえません。
おそらくこうした国の姿勢も、「高齢ポスドク問題」をはじめ、日本の大学や研究者を
とりまく世界にある種の弊害をもたらしている元凶の一つであるように思います。

追記)平成26年度募集分より、学振特別研究員の申請資格として、年齢制限が
撤廃されたようです。リカレント学生や、さまざまな経歴を経て研究者を志した方には
大きな朗報です。(2013年4月7日、本ブログ管理人追記)
詳しくは、日本学術振興会特別研究員募集ホームページをご確認ください。
http://www.jsps.go.jp/j-pd/data/shinsei/henkoten_pd.pdf

2011/05/08

科研費審査のあり方の疑問と問題点

ついに連休も終わり、来週からはまた通常の日々に戻ります。
新学期開始時期は、実は大学教員にとって「科研費」の内定が来る時期でもあるのですが、
これに申し込んだ研究者の間では、科研費の審査結果をめぐって一喜一憂の光景が
繰り広げられている時期でもあります。

「科研費」とは、「科学研究費」の略称で、いわゆる国(政府)による研究費のこと。
ひとくちに「科研費」といっても、文部科学省の科研費、厚生労働省の科研費や科学技術関係の
科研費などさまざまありますが、最もメジャーなのが文部科学省の科研費。
これは、通常、文部科学省傘下の法人である日本学術振興会というところが取り扱います。

科研費は国の研究費ということもあり、日本の研究者の間では最もポピュラーなものと
いわれております。ですので、当該分野の権威や大家といわれる大物から、大学や
研究機関にポストを得たばかりの出だしの者まで、毎年秋になると、多くの研究者が総出で
プライドをかけて応募するものでもあります。審査も公には当該分野の専門家によって
公平に行われているとされておりますし、性質上、当然そうでなければならないでしょう。

しかし、科研費の審査が果たしてどれだけしっかりと、しかも公平に行われているのかを
めぐっては、常にさまざまな論争や疑惑が絶えません。

たしかに、自分の周囲をみてみても、申請に関連するテーマでの実績や業績も素晴らしく、
申請書もよく書けている人が不採択だったり、その逆の例もかなり多くあります。
着眼点がよく、今後重要になると思われるような研究が不採択だったり、逆に、明らかに
どうみても個人的な道楽としか思えないような研究が採択され、しかも多額の研究費が
付けられていたりなどというのは枚挙に暇がありません。

こういうケースや話をよく目の当たりにすれば、科研費とはいったい何を基準に審査
されているのか、なんだかんだいっても、申請書の内容そのものというよりは、
結局は政治力や申請者の研究者としての知名度によって、ほぼ採択・不採択が
決まるのではないかとの疑念の声が上がっても無理もないように思います。
(あるポスドクや若手教員レベルの研究者が出した研究計画が不採択になったにも
関わらず、まったく同じ研究計画を今度はボスの名前や有力者の名前で出したら
通ったなどというケースは、その最たるものです。)

こういうことは、何も科研費だけに限った話ではなく、民間財団の研究費の審査なんかでも
あることでしょう。ただ、民間財団の場合は、あくまで財団の理念や研究費の趣旨に
沿った研究計画であることが第一に求められ、審査も主にそうした観点から行われるので、
自分の経験からいっても、科研費に比べれば、まだはるかに客観的で透明性も高く分かり
やすいですし、対策も立てやすいといえます。

科研費の場合、不採択者の審査結果には、不採択者の中でどの程度の位置にあったのか
A、B、Cによるランクが付される程度であり、最近でこそ、審査コメントも付されるように
なったようですが、その審査コメントも非常にあっさりした、ほとんど審査員の主観に起因する
「上から目線」的なようなもので、どこがどのように悪かったのか、どこをどのように改善すれば
採択の可能性が上がるのか、などといった建設的なコメントがあるわけではないと聞きます。
これでは、どこが至らなくて採択されなかったのか、その原因が釈然としないために、
今後、どのような戦略を立てて応募したらいいのか分からず、結果的に申請者の
研究者としての発展に繋がらず、悪循環をもたらすと思われます。

科研費は出す分野や種目、審査員が誰なのかも重要なようで、一度不採択になった
申請書をほとんど修正せずに出したら、今度は通ったというような話もよく聞きます。
(なぜなら、審査員は2年くらいでほとんど入れ替わるため。)このことはつまり、
審査員の目次第、そして応募分野によって同じ申請内容でも評価が大きく異なると
いうことを指しているのでしょう。
(科研費に関しては、よく「通った」「採択された」というよりも、「当たった」というような
言い方がなされるのは、まさにこうした所以からなのでしょう。)

ちなみに、アメリカなどでは、国の研究費の審査においては、審査の経過や審査員名も
具体的に公表されます。また、審査結果に不服の場合は、それに申し立てができるような
制度もしっかりと確立され、しかもそれがよく機能しております。

国民の税金を使った研究費である以上、申請者だけでなく、審査する側の方にも
説明責任があるはずです。日本も、科研費に関してぜひこうした制度を設けてほしい
ものと思います。
(しかし、そうしたら、不服だらけで文科省や学術振興会は大変なことになると思うが。。。
でも、そうでもしないと、この国のほんとうの意味での学術の発展はないと思います。)