2015/05/27

川崎中1殺害事件の教訓を無駄にするな

今年2月、川崎で起きた当時中学1年の上村遼太くん殺害事件から3ヶ月が過ぎた。
この事件は、被害者がとても残忍な殺され方をしたという点で日本中を震撼させ、
海外のメディアでも報道されたほどである。また、事件を読み解いていく上で
浮かび上がってきた川崎市川崎区の土地柄、女性(シングル・マザー)の貧困、
そして子どもの教育や少年犯罪の防止において、行政・学校・地域・家庭の連携が
いかに重要な意味を持つかを示すものであったという点においても、社会に
たいへん大きなインパクトや教訓を投げかけている。

事件の経過などについては、すでにあちこちのメディアで取り上げられているため、
ここではあえて詳しくは触れないが、被害者の上村くんは、上村くんが5歳の時、
父親が漁師になりたいとの希望から島根県西ノ島にIターン移住した。しかし、
移住して3年ほどたった頃に夫のDVにより離婚(上村くんが小学3年生の頃)、
母親が子ども5人を引き受けて育てていたが、生活が苦しかったため、2013年の
小6の夏に母親の実家のある川崎の小学校に転校した。上村くんは大好きだった
西ノ島に残りたかったようであるが(川崎に引っ越してわずか2週間ほどで、一度
西ノ島に戻ってきたというエピソードもある)、前向きで明るい性格だったので
一生懸命に新しい環境になじもうとした。結果、転校先の川崎でも持ち前の
キャラクターから一気に人気者になり、中学に上がると大好きなバスケ部にも
入って活躍した。

しかし、上村くんが中1の2014年の夏が過ぎたあたりから様相は一変する。
上村くんは、バスケの仲間が紹介してくれた人たちと交友関係を持つようになるが、
それが近所でも有名な不良グループであり(おそらく当初は上村くんは不良と
気付かなかったか、気付いていたとしても、まさか後々こんな羽目になるとは
想像もしていなかったのだろう)、付き合う仲間が悪くなったことから、髪型や
素行にもやや変化が現れるようになった。秋頃からは学校も休みがちになり、
大好きなバスケ部もやめてしまうことになる。そして仲間からは万引きを強要
されるようにもなったが、それを拒否すると暴力を振るわれるようになり、
暴行がしだいにエスカレートしていき、仲間から抜け切れなくなった。

上村くんは、事件の1、2ヶ月前から「仲間から抜けたい」「殺されるかもしれない」と
周囲にたびたびメッセージを投げかけていた。にもかかわらず、それが周囲の
大人たちに行き届かなかった(いや、行き届いてはいたけれど、学校や地域は、
面倒なことに巻き込まれたくないからと無視していたといった方が適切かもしれない。
なぜならば、担当の教師は何度にもわたって上村くんの母親に電話をかけていた
らしいが、肝心の校長などはほとんど関与していなかったことが明らかだったから
である)。そしてついに2月19日の深夜、上村くんは、仲間の一人から主犯格が
いることを知らされずにLINEで呼び出され、激しい暴行を受けた末、残念な結末と
なってしまったのである。殺害現場の様子を聞き及ぶごとに、なぜ何の罪もない
上村くんがこれほど残忍な殺され方をしなければならなかったのか、ほんとうに
かわいそうで残念でならない。
(全く面識のない見ず知らずの第三者の自分でも、悲しくて涙が出るほどである。)

この事件をあらためてふりかえると、上村くんは、西ノ島という小さな島で皆兄弟
のような環境で育ってきたわけであるが、人見知りをせず周囲に自分から入って
いく子だったという。しかし、その純朴で素直な性格が(屈託のない、きらきらとした
可愛らしい笑顔の写真がそれを物語っている)、川崎ではかえって災いすることに
なってしまったのだろう。結果論であるが、西ノ島から川崎に移ってこなければ、
不良グループにも出会うこともなく、こんな目に遭うことはなかったであろうだけに
今回の事件は非常に悔やまれる。今回の事件から、子育てや教育をする環境が
いかに大事かという点にあらためて気付かされた人も少なくないだろう。
上村くんも、こうした環境に放り込まれなかったら、とてもいい子に成長していくはず
だったに違いない。今、日本ではあちこちで物騒な事件や殺害事件が起きているが、
こうした上村くんの生い立ちや事件に至るエピソードも考慮に入れると、これほど
被害者がかわいそうに感じられ、またこれほど加害者が憎らしく、腸が煮え返るような
思いをした事件はない。

この事件の背景要因については、事件現場周辺に特有の土地柄や、シングル・
マザーの厳しい経済状況と社会的立場の弱さ、そして母親の対応ぶりなど
さまざまな要因が指摘されているが、もう少し学校や地域がきちんと目をかけて
適切な対応をしていれば、少なくとも最悪の事態は逃れることができたように
思われる。事件当初、メディアでは上村くんが暴行を受けていることに対する
母親の無責任さや放置状態が指摘されていたが、その後の警察による取り調べで、
上村くんの母親は、ちゃんと学校や警察に相談を繰り返していたことが明らかに
なっている。捜索願が出ていたからこそ、今回、川崎の河川敷の事件での被害少年が
上村くんだとすぐに特定できたのである。この事件が起きてからすでに3ヶ月が経過
しているにもかかわらず、上村くんの殺害現場には今でも全国から献花に訪れる人が
絶えないと聞く。このことは、この事件の無念さを自分のこととして等身大に受け止めて
いる人たちがいかに多くいるかということを物語っているといえよう。

容疑者3人の少年の逆送が決まり、成人同様刑事裁判にかけられることになり、
これから裁判員裁判が行われる予定だという。そういう意味で、展開はまだまだ
これからであるが、「少年法」によって減刑された少年たちの再犯率は高いことは、
1989年に東京足立区で起きた「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯格らなどに
よっても十分に証明されている。18歳といえば、たしかにぎりぎり未成年かもしれないが、
もはや成人同様の判断力もあるし、悪知恵も働く年齢である(現に主犯格は別の
傷害事件での保護観察状態を解かれたばかりで、どうやったら刑を逃れるか、
減軽されるか、そのすべを知っているようなことを周りに吹聴していたそうである)。
ましてや今、選挙権の年齢引き下げとかも議論しているくらいなのだから尚更である。

上村くんの死が問いかけた教訓を無駄にしないためにも、そして「第二の上村くん」を
出さないためにも、今後の裁判の展開を注意深く見守っていきたい。

2014/09/29

久々の英語での研究発表

先日、あるワークショップで久々の発表を行った。このワークショップは、台湾の
政府の学術研究機関である中央研究院の学者先生らを招いてのワークショップ。

最初、このワークショップの主宰者の先生から、「発表しませんか?」と声を かけられたとき、
英語での研究発表だということを意識していなくて、 二つ返事で引き受けてしまい、
そのあとで英語で発表しなければならないと いうことがわかって、「ありゃ~」と思ってしまった。
だって、先方から来る研究者の方々は、台湾の社会学の権威ばかりなんだもの。
そういうお偉い方々がいらっしゃるなかで、しかも英語での発表なんて、よく考えたら
恐れ多いこと。自分はなんて怖いもの知らずなんだろうと。
でも、普段からお世話になっている先生なので今更断るわけにはいかないし、
ワークショップへの参加はいい機会になると思い、この1ヶ月弱の間、英語での原稿を
作ったり、パワーポイントを作ったりしたりして、何とか準備を整えて臨んだ。

英語での研究発表なんて、ぜんぜん慣れていなかったので、ほんとうに当日は
どうなることやらと思っていたが、出来映えはともかく何とか無事に終了。
英語でのプレゼンテーションも、やはり数をこなしていくごとに、コツのようなものを
だいぶ習得できていくようにも感じた(何事も経験が大事)。

それと、このワークショップに参加できてよかったと感じているのは、 台湾の社会学界の錚々たる研究者の先生方のレクチャーから最新の研究成果を 学ぶことができたのと、
ワークショップの主催先の大学の先生方・院生や ポスドクの方々といい関係ができたこと。
この主催側の大学は旧帝ということもあってか、さすがに研究活動が 盛んに行われており、自分の勤務先の大学にどっぶり浸かっていては体験できないような いい刺激を受けることができた。この1日だけで半年分くらい勉強した感じである。 やはり活発に研究活動を進めていく上では、自分自身の努力や意欲もさることながら、 こういう環境に身を置くことが重要なんだとあらためて感じた。 (誤解のないように断っておくと、これは何も自分の勤務先の大学を否定しているのではない。 自分の勤務先の大学にも、学生の礼儀正しさや品の良さ、温和で清楚な雰囲気など、 こういう大手の研究型大学にはないような良さもある。)

このワークショップの発表者として、お声をかけてくださった先生にはあらためて 感謝申し上げたい。 これを一つの潤滑油として、今後のために研究活動を頑張っていきたい。

2013/10/22

かわいい猫動画に癒される

久しぶりにyoutubeで可愛い猫ちゃんを発見!

最近、猫を飼っている人の間では、「わが子が一番」とばかりに、
youtubeなどに愛猫の動画をアップするのが流行っているそう。

家族の単位が縮小し、子供の数も少なくなったり、
また人付き合いがデジタル化傾向にある世の中も反映してか、
ペットにぬくもりを感じ、ペットを「家族」の一員とみなす傾向は、
より強まっているように感じる。

ところでこの猫ちゃん、鏡に映って3匹になった自分を
すご~い不思議そうな表情でじ~っと見つめているが、
その表情や動作が何とも可愛い!

この猫ちゃんの名は"Maru"というらしい。
その名のとおり、ちょっと丸っと太っているが、
この丸っと太っているのがかえって雰囲気に合っている。

3匹のねこ?-Three Marus?-
https://www.youtube.com/watch?v=RxoZ-AZKpX8

とっても癒される、かわいい動画です。
(こんな猫ちゃんがいたら、ずっと家の中から出たくないだろうな。)




 

2013/03/06

ネットやケータイは便利だが・・・

多忙な毎日が続き、久しぶりのブログ更新。
しかし、私がここしばらくブログを更新していなかったのには、もうひとつ
理由がある。それは、最近、インターネットにはまりすぎる生活はできるだけ
送らないように心がけているからである。

今やインターネットや携帯は、現代人の日常生活に欠かせないツール。

たしかにこれらは便利なツールで、とくにインターネットは、これは私たちの
日常生活に大きな利便性をもたらしたことは間違いない。
実際、こうした新しいメディアが普及したからこそ、企業なんかにおいても
単純労働にかかるコストや人件費の削減が可能になったわけだし、個人の
日常生活においても、web上で公共料金を支払ったり、銀行の決済を済ませたり
なんかといった各種の処理も可能になった。また、家族と遠く離れた場所に
住んでいたり海外に滞在していても、家族や友人との連絡を取り合うことも
容易になったため、海外暮らしでカルチャーショックやホームシックに陥る
ということも昔に比べてめっきり少なくなった。もはや、これらがない生活は
考えられない、成り立たないという人は多いだろう。

ただ、インターネットは、あまりにハマりすぎると、逆に不健康な、不便なツールにも
なりうる。なぜなら、遠く離れているのならともかく、近くにいる人との間ですら、
会って直接話せば10分で済むことを、30分、1時間かけて文章を作成してメールを
送信する必要が出てくるからである。私が知る例だと、同じ職場で、すぐ見える
ところに相手の席があるにもかかわらず、こんなことまでメールにして伝えなきゃ
いけないのか、と思うような次元のことまで、いちいちメールにして送っている
ケースもあった。これこそまさに、時間のロス。いくら時間があっても足りない
ことになり、よけいに人を忙しくさせてしまう。

たかがメール、されどメール。
メールの文章って、微妙なニュアンスをいかに相手にきちんと伝わるように
的確に表現するか、けっこう頭を練らなければならない。とくに「行間を伝える」
「行間を読む」ことが求められる日本語なら尚更。それに、何か物事に集中して
いるときにメールの着信音が鳴れば、それで作業が中断されてしまいかねない。
利便性と不便さが紙一重ということは、まさにこのことを指すのである。

なので、私も以前は結構長いメールを書く傾向もあったのだが、最近は
メールはあまり長く書かないようにしている。そのせいか、最近はメールを
書く回数もめっきり減った(ように思う)。

直接会って対面して話すのと、メールによるコミュニケーションは、それぞれ
一長一短である。そんなこと言われなくても分かっている、当たり前と思うかも
しれないが、現代人は案外これらを上手く使い分けることができていない。
それゆえに、ネットにハマりすぎることで人との付き合いがかえって疎遠になって
孤立化して鬱になったり、ネット中毒になって、ネットサーフィンで一日があっという
間に過ぎて行ってしまい、勉強や仕事に支障が出たりすることになりかねない。
(お隣のIT大国である韓国では、すでに「ネット外来」なるものができていて、
大繁盛しているそう。)
こういう話題を出すと、「昔はテレビとの向き合い方に対して同じようなことが
言われていた」と言い出す人もいるが、ネットや携帯はテレビに比べて「個人化」
したツールであるだけに、よけいにこうした状況をもたらしやすい。

ネット上でのやりとりと直接会った上での対面でのやりとりは、時と場合によって
うまく使い分けることが大切。地域社会やコミュニティの衰退が言われるように
なって久しいが、こうした状況が顕著になってきたのは、何も地域社会の高齢化や
過疎化といった要因だけが原因なのではない。こうした要因以外にも、人々の
ライフスタイルがデジタル化し、アナログな交流や人付き合いが少なくなったのも
その一因ではないかと考えられるのである。

2012/10/06

大学生になっても保護者懇談会だなんて

最近、多忙な状態が続いていたため、約3ヶ月ぶりのブログ更新。

日本の大学の中等教育化がいわれて久しい。たとえば、学生の相対的な質の低下を直視し、
高校で扱うような内容の補習的な授業科目を設置するなど、「リメディアル教育」を導入する
大学が増えていることはもちろんだが、大学と学生との関係も、高校の延長線上のような
感じが出てきていると感じるのは何も私だけではないだろう。

今日、日本の大学進学率はすでに50%を超えるようになっている。つまり、大学は、すでに
高校卒業生の2人に1人は進学する大衆教育機関となっているのである。大学生に相当する
年齢層の人口が減っているにもかかわらず、高校卒業生の2人に1人が進学する機関に
なっているということは、日本の大学は、とっくにユニバーサル化の段階に入っていることを
如実に意味している。大学は、すでに20~30年以上前のように、「進学校」とよばれる
一部の限られた特定の高校の生徒のみが進学する教育機関ではなくなっているのである。
そしてまた、社会のありようが変われば、当然、大学もそれに合わせて変質していかざるを
得ないのは、いまさら強調するまでもない。

それゆえに、大学が学生に対して過保護傾向になるのはやむを得ないのかもしれないが、
最近、私が驚いていることの一つに、保護者(父兄)懇談会なるものを実施する大学が
増えていることである。実はこの保護者懇談会なるものは、ついに、ウチの大学の、
私が所属する学部とは別の学部でも実施することになったようで、大学がある意味学生に
対して「冷たかった」頃の時代の大学教育を受けてきた自分にとってみれば、まさに隔世の
感がある。「大学生になっても保護者懇談会とは何だかな」と思ってしまう。
しかも、東大でさえも、今では父兄対象の懇談会を実施しているというから、日本の大学の
中等教育化はついにここまで来てしまったのかという感をぬぐえない。

しかし、この保護者懇談会なるものに疑問を感じ、懸念を抱くのは、何もこうした理由だけ
からではない。その理由は大きく二つある。

一つは、日本の場合、大学に進学する学生の主な年齢層は、18歳から22歳である。
18歳から20歳まではたしかに法律上でも「未成年」であるが、20歳以上は「成人」である。
この「成人」を超えた学生に対して「保護者」といういい方は、なんか違和感を感じる。
それでも、新入生や大学1、2年生対象なら法律的にも「未成年」に区分されるから
まだ分からなくもないが、3年生、4年生になっても「保護者」懇談会って、なんだか
いつまでも大学が学生を子ども扱いし、こうした法的な概念と照らし合わせると
矛盾しているようにも思われる。
(さらにいえば、「保護者」と命名するならば、飲酒も当然禁止されるべきであろう。)

そして二つ目に、こうして大学が保護者懇談会なるものを開催することは、他方で、
ますます子どもの親離れする年齢を引き伸ばし、また、逆に親の子離れを阻止する
ことにも繋がりかねない。最近、「モンスターペアレント」の存在があちこちで聞かれる
ようになり、子どもがいつまでたっても親離れできないだけでなく、逆に子離れできない
親が増えていると聞くが、こうした保護者懇談会なるものがこれ以上あちこちの大学で
開催されるようになれば、そうした動きをますます助長するようにもなりかねないのでは
ないだろうか?現に、大学入試はおろか、就活での面接や子どもの就職先の入社式に
まで親がくっついてくる時代になっているくらいなのだから。

大学とは、いうまでもなく義務教育ではない。たしかに、昔に比べて大学は大衆化し、
望めば誰でも行けるような時代になっているから、そのような観点からいえば、今は
実質的には義務教育に近いような側面も出てきている。とはいえ、大学とは本来、
そこで学びたい者だけが自己の意志や選択に基づいて行くべきところである。
この大学本来の趣旨や根幹は、大学の位置付けや社会における役割がいかに変化
しようと、決して揺らぐべきものではない。

たしかに大学が中等教育化し、社会における位置付けが変わりつつあるなかで、
大学もいろいろ苦肉の策を考えなければ生き残りが苦しい時代に入っている。
このような「大学受難の時代」に入れば、これまでとは何か異なる工夫や取り組みが
大学としても求められるようになってくるのはやむを得ない。おそらく各大学側も、
学生の親に対し、「これだけ学生の立場に立った教育や指導を熱心にやっている
んですよ。だから安心してくださいよ」ということを伝えたくて、こうした保護者対象の
懇談会を設けているのだろう。しかしながら、ケアの良さを強調したいのであれば、
もう少し別の方法がありうるのではないだろうか。大学が率先して保護者懇談会
なるものを実施するというのは、上のような理由から首をかしげざるを得ないのが
正直な実感なのである。

2012/07/03

もうひとつのアカハラ?

この週末、某学会に行って来た。
この学会でも、年配女性の某先生を姿を見た
この先生、いつも一人で学会に足を運んでくる。

私とこの先生は、関心が少し近いせいもあって(あまり細かくいうと、この業界、すぐに特定
されてしまうので、具体的な専門分野についてはあえて言及しないでおく)、私が足を運ぶ
学会、そして参加する部会やセッションには、だいたいいつもこの先生もいて、ふと出くわす
ことが多いこの先生は、この業界では比較的有名な部類に入る先生である。

しかし、この先生は、学会で発表者に対して割と容赦のない厳しい質問を投げかける傾向が
あるので、私は個人的にこの先生を何となくあまり好きではなかったが、今回、そうした思いを
よけいに強くさせてしまう場面を見てしまったのだ。

ある若い院生の発表の場面。
最近は、院生といってもいろいろだが(学部からストレートで進んできた者だけでなく、
白髪交じりの風貌の明らかに中高年の院生もいる)、この報告者は前者のタイプ。
おそらく博士課程一年目か二年目くらいの院生と見えた。

この報告者の発表は、「100人を超える人にインタビューをした」といっているにもかかわらず、
それらの基本属性などの概要が示されていないこと、政府統計の分析が2005年頃で止まって
しまっていることなど、正直、私自身もちょっといまいちな発表と感じてのだが、何と、
この某先生が、この発表者に対して、こうした指摘も含めた厳しい質問をズバズバ投げかけ
始めたのである。

それだけなら、「この先生、ずいぶんきつい質問するなあ」で済む話である。この手の人は
どこの学会とかに行っても必ずいるものだろうし、別にどうってことない。しかし問題は、
その報告者がこの某先生の質問に答えた際に、おそらくその回答がこの某先生にとって
納得のいくものでなかったようで、この某先生は会場にいる他の参加者の目にも明らかに
分かるような素振りで、首を横に振って投げやりな態度を示し始めたことである。
こういうのって、今の時代、見方によってはアカハラに該当しかねない行為にも読み
取れるだろう。)

たしかに学会という場で報告する以上は、最低限の水準当然求められるだろう。
しかし、よく考えてみれば、相手は院生、つまりまだ学生なのである。ポスドクや
専任教員など研究歴の長い者と比較して、院生のそれ未熟なのは言ってみれば
当たり前のことであり、それを鼻っから「上から目線」のような態度で接するのは、
良識を疑わざるを得ない。たしかにその報告者の報告のレベルがその先生の目に
かなうようなものでなかったにせよ、その辺は多少差し引いてみるべきであり、
会場にいた他の参加者の中にも、同様の印象を持った人は少なからずいたに違いない。
これが同じ院生仲間の間で繰り広げられた展開なのならともかく、この場合、
報告者である院生の発表そのものの未熟さよりも、むしろこの先生の態度の方が
目立ってしまう形となってしまい、結果として問題視されかねない。

もし、「上から目線」のような態度を示すのであれば、その発表者を非難するような形で
質問するのではなく、発展的改善意見を提起するような教育的な配慮も含めた観点から
質問やコメントを投げかけるというのが、本来ではないか。学会で一定の評価を得ている
高名な先生であるならば、よけいにそうであってほしい。
あるいは、そのセッションが終わってから、その発表者のところに個人的に行くなりして、
そうしたことを指摘すべきである。そのくせに、この某先生、自分が「なかなか」と思った
発表者に対しては、そのセッションが終わった後、自分の名刺を渡しにいくのだから、
よけいに「なんだかなー」と思ってしまう。(こんな先生に、学会のコメンテーターだとか、
論文の査読なんかがあたってしまったら最悪。)

いくら研究者として一定の地位を確立している有名な先生でも、こういう先生は私は好きに
なれないし、尊敬はできない。自分は将来、こういう人にはなりたくないなあという感を
強くした今回の学会の一場面であった

2012/04/30

えっ、東京女学館大学がなくなる?

ついさきほど、東京女学館大学が受験生の減少と定員割れが続いていることを理由に、
来年度から学生の募集を停止し、2016年3月に閉校の方針を発表したという記事をみつけた。

東京女学館、閉校へ 来年度から募集停止
http://www.asahi.com/national/update/0430/TKY201204300224.html

東京女学館といえば、戦前につくられた由緒ある女子校で、附属の小学校から持った
学校である(ちょっと調べてみたところによると、この学校は明治時代中期、新興華族など
名士のお妾さんやそのお妾さんのお嬢様を大手をふるって教育するために、伊藤博文
などが尽力して創った学校なんだとか)。この記事を見て、東京女学館のような伝統校でも、
女子大はどこも経営が厳しいんだなということを実感した次第である。
まさに「女子大厳冬の時代」とでも言おうか。

そういえば、数年前にも、ちょうどやはり東京女学館と似たような女子の伝統校である
山脇学園も短大が閉校になったのを思い出す。

日本では、90年代半ば以降、「一般職OL」という職域の消滅とそれによる女性のライフ
コースの変化、そして少子化によって女子を四年制大学に進学させることのできる
家庭の増加などを背景に、女子の四大志向へのシフトが起こった。こうした動きに乗じて、
女子短大を持っていた学校が、その短大を四年制大学に改組・昇格させたり、他方で、
地方都市に多い、事実上女子の高等教育機関として機能していた公立短大も、県立
大学などに吸収合併されるケースが全国的に相次いだ。後者のケースは、四年制大学に
移行後、その対象をとりわけ女子のみに特化していないということもあってか、四年制
大学に移行後もそれほど大きな問題がなく展開できているものの、私立の女子高等教育
機関で、かつて女子短大だったところが四年制大学に移行した女子大学で、成功している
ケースは実は意外にも少ない。

その一因として考えられる理由については、以前、このブログの「岐路に立たされる
『日本型お嬢様大学』」http://skchura.blogspot.jp/2011/07/blog-post_12.htmlにおいて、
少し関連する内容を取り上げたこともあるので、ここではあえて詳しくは触れないが、
大学受験人口の減少と女子受験生の共学志向といった要因以外にも、ひとことで
いってしまえば、こうした学校は世間でいう所謂「お嬢様学校」とよばれるところなので、
(小)中高はともかく、高等教育機関は、とりわけ日本社会の文脈においては、
短大であってこそその価値を発揮できてきたのだといえるのだろう。

自分が知る範囲内でも、G女子は短大から四年制に移行して、少なくとも入試偏差値が
それほど低下せず、移行前のステイタスをほぼそのまま維持できたという意味において
そこそこ成功した数少ない例といえると思うが、東京女学館をはじめ、TE女学院やK女学園、
関西のO女学院など、四年制大学に移行していまいち振わなくなったケースの方が多い。
ただでさえ女子受験生の間で女子大の人気が低下している今日、山脇学園は、こうした
事例もひとつの教訓として、あえて四年制に移行する道を選ばなかったと聞いているし、
東京女学館の今回の選択も、これ以上、「キズ」が深くなるまえに手を打ったのだと見る
こともできる。

今の日本の大学、そして女子大学を取り巻く現状から考えて、今後、日本の多くの女子大は、
①共学化するか(実際、大阪女子→大阪府立、高知女子→高知県立、広島女子→県立
広島など、かつて全国にいくつかあった公立女子大は、すでにそのほぼ全てが近隣の公立
大学に吸収合併されている)、②今回の東京女学館のように閉校するか、いずれかの選択を
取らざるを得ないことになるものと予測される。しかしながら、これまで理系や実学・資格系の
学部・学科を持ってこなかった文学系・教養系のみの学部学科構成の女子大、またはミッション
系の女子大や世間で「お嬢様学校」とされてきた女子大の多くは、設立当初からもっぱら女子
教育に特化してやってきたという「プライド」から、この②の今回の東京女学館と同じような
選択を取るケースがさらに増えてくることは想像に難くないだろう。

自分の勤務先の大学も中学から大学まで持っているが、大学には、かつての短大が
母体となっている学部もある。また、偏差値的にも、バブル期までは全国的にもそこそこの
レベルにあり、私立女子大としては結構高い位置をキープしていたものの、最近は多くの
女子大と同じように、受験生の減少傾向が出始め、昔のOGには申し訳なくなるほど凋落
傾向が大きい(現に極端な例だと、学生が就活でOGを訪問しようとしても「私たちの頃とは
学生の質が全然違う」として断られるケースも出ているそうなのである)。

にもかかわらず、法人側の理事長は「私どもは絶対に共学化しません。永遠に女子大を
堅持します。今の時代だからこそ、あえて女子大にこだわりたいのです」などと言い張って
いる。実際、10年ちょっと前に、近所の同じ宗派のキリスト教系の学校で、今でこそこの手の
学部学科を持つ女子高等教育機関が急増したものの、当時は全国的にもまだそれほど
多くなく、この分野においてはそれなりの実績を持つ女子の資格・実学系専門の某短大から
合併を打診されたことがあるらしいが、聞くところによると、それを当時のウチの理事長が
断ったらしい。その後、そこは四年制大学に移行して共学化し、この大学受難の時代に
おいて受験生や入試難易度を順調に伸ばし、学生の就職などもなかなか堅調で、ウチと
競合する専攻においてはすっかりその地位が逆転してしまっている。おそらく当時は、
ウチの側からすれば「あそこと合併するだなんてとんでもない」という感覚だったんだろうが、
今じゃ逆に、ウチからお誘いをかけても、かえって向こうの方が断ってくるんだろうな。
先見の明がないというか、結果論だが、今考えれば勿体ないことをしたものだ。昔よかった
時代の認識やプライドをなかなか捨てきれないがために、かえってそれがアダとなって
しまった形である。おそらく伝統校や「お嬢様学校」とされる女子大ほど、こういう過去の
栄光へのこわだりというか、なんだかんだ言ってもそこからなかなか認識の転換ができない
ことが、逆に今の時代に足枷になってしまうのだろう。

それゆえに、今回の東京女学館のニュースは、正直にいって他人事に思えない部分も大きい
のが正直な心境なのである。

2012/03/18

学術学会の事務処理体制と加入意義を再考する

早いもので3月も中旬を過ぎ、もうすぐ新年度。
私は現在のところ、5ヶ所程度の学会に入っているが、このなかには、会費に見合った
メリットや意義があまり感じられないような学会もあるので、この辺で、自分の
研究者としての立ち位置を今後どのように売っていくか、今後どのような人たちと
お付き合いしていくか、その戦略を見直す意味も含めて加入学会を見直そうと思い、
仮に退会する場合、どのような手続きが必要になるのか、最近、何ヶ所かの学会に
問い合わせをした。

そこで、学会事務担当宛にそうした趣旨のメールを送ったところ、2ヶ所の学会から、
「このメールでもって退会処理をさせていただきます。ありがとうございました」というような
文面が返ってきて、その対応というか手続きのあっけなさに、かえって拍子抜けしてしまった
次第である。「おいおい、ちょっと待てよ」と。この学会は、私をそんなにやめさせたがって
いるのかと。

会費を納めなければならない時期はまだまだ先なのだから、今納めている会費が効いて
いる間は入っていた方が得なのはいうまでもない。今は、あくまで「辞めることを考えて
いるが、もし辞める場合はどのような手続きがいるのか」という確認をしたまでの話である。
そこで、そのことをあらためて伝えたら、今度は「飛躍した解釈をしてしまいまして、申し訳
ございませんでした」だって。まったく危機一髪、焦ったよな~。

学会とは同列には語られないが、これをもし企業や職場組織にたとえるなら、
総務担当部署に「辞めたいと考えているのだが、辞める際の手続きを確認したい」と
申し出たところで、「はい、じゃあ、これであなたは退職と扱います。さようなら」といって
いるのと同じことである。

今回、このような対応が返ってきた学会は2つ(日本S学会、AS学会)であるが、
いずれにも共通しているのは、1)大所帯の学会であること、2)外部に事務処理を委託
していて、実際に学会の役員は事務処理には基本的にノータッチであること、である。

こうした大手の学会は、入会する際にはそれなりの手続きがいるものだが、
辞める場合には、メール一本でできるなんて、ずいぶんとあっさりしたものだ。
学会や学問の世界なんてそんなものなのか。

メール一本であっさりと退会処理ができるなら、極端な話、本人から送られたメールで
なくてもできることである。これがもし、いわゆる「なりすまし」のような、誰か他の第三者から
送信されたのものであったとしたら、どうなるだろうか。今回の私の件に限らず、学会側は、
いくら事務処理を外部に委託しているとはいっても、しっかりと本人に電話を入れて本人
確認をするなどして、もう少し対応や処理を慎重に行うべきであろう。少なくとも、会員として
毎年会費も納め、それなりに学会の維持・運営に寄与しているのであるから、メール一本で
あっさりと退会処理を進めるとはあまりにも無情である。

こういう大所帯の学会は、論文を投稿したりできる機会も少なく、学会に行っても、
いつも決まったような特定の人たちだけが縄張りを張っていて、けっこう居心地が悪い。
ゆえに、学会の場に足を運んでも、そこでの議論もどことなく表面的で、本当の意味で
発展的な議論ができたと感じることが意外にも少ないものである。メリットといったら、
あくまでそこで発表できることくらいか。それと、一応、その学会に属しているということで、
自分もそこの業界の人間なんですよというアイデンティティを曲がりなりにも持てること。
なので、自分の経験上、むしろ、ほどほどの規模の学会やほどよく小さな研究会の方が、
共同研究の機会や忌憚のないコメントなどをもらいやすく、そっちの方が研究活動を
進める上で為になることや、自分が研究者として飛躍できるチャンスに繋がることが多い。

今はネットが発達し、どこの学会でもホームページを持っていて、主な情報はだいたい
そこから入手できるようになっている。そのため、昔と違って、学会に足を運ばなければ
情報が入ってこないという時代ではない。それに、年に1回(学会によっては2回)の学術
大会や研究会は、何もそこの学会に入っていなければ参加できないということはないし、
学会員だって、非学会員と同様に大会や研究会に参加すればしたで、多少の割引は
あるにせよ、参加費は普通に徴収される。このような環境の変化のなかで、学会に
加入することの意義は以前に比べて相対的に小さくなっていっているように感じられる。

ということで、その人の考え方にもよるが、学会はそんなに多く入る必要はない。
何せ、7ヶ所も8ヶ所も入れば、年会費だけでもバカにならない。それだけのもとが
とれるならともかく、多くの場合はそうではない。学会はせいぜい2、3ヶ所で十分である。
その数ヶ所の学会とじっくりとよいお付き合いをしていく方が、戦略上でも賢いやり方であり、
研究者としてのキャリアの積み重ねに繋がっていくのではないかとあらためて思うのである。

2012/03/10

変化の著しい東アジアの社会と若者

このほど、勤務先の大学の日本語教員養成課程の学生実習引率の関係で台湾に行ってきた。
私の勤務先の大学は、台湾の有名私立大学であるF大学と協定関係を結んでおり、
その関係から、そこの大学の日本語学科で日本語を専攻する学生を対象に、毎年、
この日本語教員養成課程を履修する学生が日本語教育実習を行っているほか、
この台湾のF大学からも長・短期の留学生を受け入れている。

そこで、そこの学生たちや、街で行き交う学生たちを見ていて思うのは、若者の志向や
価値観が年々、良くも悪くも日本と似たようになってきていること。

少なくとも、90年代末までの台湾は、たしかに外見は一見日本人と似ている ようではあっても、
実際に話をしたり接してみると、自分の「国」の将来や 政治についても敏感でよく考えており、
日本の若者には見受けられないような気骨や逞しさのようなものが感じられることが しばしばあった。しかし最近は、服装など外見だけでなく、 台湾でも若者が「草食化」してきており、
良くも悪くも日本の若者と変わらないようになってきている。

その背景には、インターネットや携帯電話の普及など、メディア環境の 劇的な変化が後押し
していることはもちろんであるが、これ以外にも、 とりわけ台湾の文脈に照らして重要な点として、1990年代末以降、 地下鉄の路線の発達など交通インフラの急速な発達以外にも、
今の台湾の大学生は、もはや1987年の戒厳令解除以降に生まれた世代に 移行している
ように、台湾史のなかで重要な歴史的ターニングポイントとなる 時代を経験していない世代になっていることが指摘できる。

台湾について多少なりとも調べたことのある人なら、台湾社会は、 1987年の戒厳令解除に
伴って、1980年代末から1990年代初期にかけて 社会の文脈がガラリと変わったことは
周知の事実であろう。 1987年に戒厳令が解除されるまでの台湾社会は、国民党による一党
独裁政治が行われていたことから、社会には常に政治的な緊張感が漂っていた。
また、そうしたなかで、いわゆる「本省人」(1945年以前から台湾に住んでいる 漢民族)と「外省人」(戦後台湾に渡ってきた漢民族)のエスニック対立の構図が 根強く存在し、
それが政治のみならず、人々の思考や生活空間をも大きく 規定してきた。

しかし、今や台湾では、1987年以後に生まれた世代が大学生になっていることもあり、 この戦後台湾における「本省人」対「外省人」というエスニック対立の 決定的発端となった1947年の「2・28事件」さえ、ろくに知らない若者が増えて きている(まあ、もっとも、「外省人」の親はこの歴史的事件を迂闊に子どもに 教えたがらない傾向にあるから、台湾の今の若い世代があまりこの事件のことを 知らなくなってきているのも、無理もないのだろうが)。

このことは、ちょうど今回、2月28日前後に台湾に滞在していたこともあり、 台湾のメディアでも
大きく報じられていた。日本では、最近の若者は歴史を知らないこと、 歴史に無頓着である
ことが何かに付けて批判の対象となる向きがあるが、同様のことは今、 台湾でも起きている
のである。(実際に、2012年1月の台湾総統選では、 若者の投票率の低下を指摘する現地メディアもあった。これなどは、 少し前までの台湾ではあり得なかったことだろう。)

目を同じ東アジアの他の国に転じてみれば、同様の現象は中国や韓国でも見受けられる
ようになっている。中国でも、最近は、「80後」(パーリンホウ)といわれる、1980年代以降に
生まれた、いわゆる一人っ子政策施行後の世代、市場経済導入以降に生まれ育った世代が
すでに大学生、そして結婚適齢期に入っている。こうした彼/女たちは、(たしかに愛国主義
教育のもとで日中戦争期の日本に対して厳しい見方をしているものの、)政治に対する信頼や
感心も概して上の世代に比べて薄く、また都市部では消費社会の到来も後押しして、日本の
同世代の若者と同じか、むしろそれ以上に過保護に育てられていることから、日本の若者と
同じような価値観を持つようになり、場合によっては、日本の若者以上に若者の志向が
贅沢になっていることも指摘されている。

このような展開は、決して何も悪いことではないし、逆説的にみれば、過去の歴史に無頓着
であるがゆえに、かえってそれが、日本や台湾、あるいは中国など東アジアの若者同士で、
「目線を同じくした」交流や連帯を促進する上でプラスに働くこともあるのかもしれない。
実際、今の日本の若者も、過去の日本(人)がアジアに対して行った植民地支配や侵略の
歴史をよく知らないからこそ、逆に上の世代が持っていたようなこれらの国や地域に対する
先入観や優越感も小さい。こうしたなかから、新しい発想に基づいた企画や商品ができたりも
するだろうし、「国」のレベルや、従来の認識を超えた親近感さえ育まれる可能性もある。

最近の日本の女子高生や女子大生の間では、携帯メールでハングル文字を使ってコミュニ
ケーションを図るのが「かっこいい」現象となっていたり、韓国人男性との結婚が一つの憧れ
にもなっているそうであるが(ちょうどアジアの男性が日本人女性に憧れるのと同じように)、
こうした認識や発想が出てくるのも、いわゆる歴史に無頓着な世代であるからこそゆえに
成し得る展開であるともいえるだろう。

しかし、生まれ育った国や社会の歴史をろくに知らないという世代が大きく台頭するように
なった日本や台湾、中国、韓国などの将来は、今後どのようなものになるのだろうか。

何かと過去の歴史にこだわりすぎるのもどうかと思うが、やはり過去の歴史に無知な 住民が多くを占めるようになった国というものは、ひとつ気骨のある国にはなって いきにくいだろうし、日本に対する理解や関係も、「きれいな」表層的な次元のものだけに とどまりかねない。
その意味で、そうした世代が社会の中枢を担う世代として台頭してくる(あるいは今後していく)
ようになった東アジアの国々、そして日本とこれらとの関係は決して楽観視できる面ばかり
ではなく、正直にいって、無味乾燥なものになっていきかねないような感も否めないのである。

2011/12/27

風評被害とメディアの社会的責任

最近、メディアによる風評被害とか、「メディア・リテラシー」といった言葉をよく耳にする。

私が持っている1年生向けの演習授業では、ステレオタイプではない複眼的な思考法を
身に付けてもらうために、学生各自で簡単なテーマを設定し議論をして、それをフィードバック
させた上で学期末にレポートを提出してもらうようにしているが、そのせいもあるのか、今年は
思いのほか、「インターネットの利便性と罠」とか、「テレビの役割再考」とか、「メディアの功罪」
といったメディア絡みのテーマを取り上げる学生が多いのが目立つ。

メディアとは、人々に世の中の動向を伝えたり、多くの人々はどのように考えているのかという
一般的な見解を伝える役割を果たす媒体である。このように、メディアは世間に正しい情報を
瞬時に伝えるという役割や責任を負っている反面、その報道が果たしてどこまで正しいのか、
またその報道の仕方については常に問題視もされてきた。

このように、メディア報道のあり方についての批判は必ずしも今に始まったことではないが、
今回、そうしたメディア報道のあり方を大きく再考するきっかけとなったのが、皮肉にも東日本
大震災や福島原発での放射能漏れという出来事であった。これによって、マスコミやメディア
報道による風評被害というものがあらためてクローズアップされるようになったように思う。

「風評被害」とは、けっして間違った情報を流しているわけではないのだけれど、ある一面だけ、
あるいは報道する側に都合がよいと判断された部分だけがクローズアップされて報道されて
しまうことにより、そうした報道をされた側が必要以上のダメージを受けてしまうこと。
つまり、情報がもたらす「二次被害」のことである。

福島原発による放射能漏れのニュースが過大に報道されることによって、福島出身の
子供たちが他地域の転校先の学校でいじめの対象になったり、福島県産の農産物が
売れなくなったり、海外で福島の知名度が必ずしも正しくない方向で広がったり、
さらには北海道・東北・関東など東日本で外国からの人の流れが大幅に減少したり
などといったことが生じたことは、あらためて強調するまでもないだろう。

こうした東日本大震災絡みのニュースだけでなく、私も常日頃テレビを見ていて思うのは、
ちょっとしたニュースや天気予報なんかでも、報じる側に共有されている認識や、
「中央」の人の一方的な思い込みでもってニュースが報じられてしまう傾向がしばしばある
ことである。ほんとにどうにかならないものかと思う時もあり、これこそが、まさにメディアの
功罪である。さらに問題なのは、そうしたメディアによって報じられた必ずしも正しくない
メッセージが最も支配的な見解として世間に流布し、「メディア・リテラシー」が十分でない
子どもやそうした大人たちに、ある種のステレオタイプ的な見解やイメージを植えつける
ことになってしまっている点である。

たとえば、「中央」のテレビ局によって全国に報じられる北海道に関する報道は、なぜか
「雪」とか、「寒い」とか、「気温が低い」といった点ばかりが強調される傾向にある。これは、
おそらくアナウンサーや報じる側が持っているそうした内在化された「まなざし」が無意識の
うちに出てしまっていることが、そうした報じ方に繋がってしまっていると思われるのだが、
それによって、聴衆には「ま~、北海道ってたいへん」「寒くて重くて暗そう」といったあまり
よくない側面でのイメージ形成に繋がってしまいかねない。

しかし、北海道と一言でいっても、九州や、海外で言うと台湾より広い面積をもつ地域である。
ゆえに、そうした「中央」発のメディアが報じる北海道のイメージなんて、いってみればごく
一部でしかない。しかし、それがあたかも北海道全体がそうであるかのように語られてしまう。
もし日本の天気予報が、ニューヨーク発であったり、ロンドン発でなされるものであるとすれば、
そこまで北海道が「気温が低い」とか「寒い」というイメージで報じられることはないだろう。
見方を変えれば、北米やヨーロッパからみたら、東京よりもむしろ北海道の方がヨーロッパや
北米と気候風土や街並みが似通っていることもあって、そうした意味においては、北海道の
方が世界の先進国標準に近いといえるのかもしれない。

似たようなことは日本の他の地方に対しても同様にいえることである。私の友人に
大阪出身の人がいるが、その友人は、「関東経由のメディアは、大阪というと、いつも
決まって道頓堀だとか千日前だとかコテコテの大阪イメージのところばかり報じる。
けれど、大阪にだって、東京に負けないくらいおしゃれなスポットはいっぱいあるし、
上品なところだってある。けれど、関東のメディアはなぜかそういう『おしゃれな大阪』は
報じたがらないんだよね。最近じゃ、海外でも大阪=やくざの街とかってガイドブックなんかに
載っているらしいし。逆に、関東の人たちは、神戸に対してはおしゃれイメージがあるようで、
若い女性が読むようなファッション雑誌はみな東京・横浜か神戸なんだよね。横浜なんかは
『エキゾチックな港町』というキャッチフレーズで語られて、多くの人たちもそうしたイメージを
持っているけれど、あそこには日本三大ドヤ街のひとつといわれるエリアもあるからね。
上手いイメージ戦略や」と語っていた。その友人は、「このところの関西の地盤沈下は
こんなところにも一因があると思われるから、私は東京なんか大嫌いだ」と強調していた
ことを思い出す。

(これと逆のケースは沖縄である。ご存知の方も多いと思うが、90年代に入るくらいまでは、
多くの日本人にとって沖縄のイメージは決して明るいものではなく、他のアジアの国々に
対してと同じように、どちらかといえばあまり肯定的なものではなかった。ところが、90年
前後を境に、「中央」発のメディアの報じる沖縄イメージがガラリと180度転換し、明るい
ポジティブなイメージに変わった。今では、東京に出てきて沖縄出身というと羨ましがられて
脚光を浴びるらしく、昔は差別と偏見の対象であったのとは大違いである。
これも、メディアの沖縄に対する報じ方が大きく変わったことが最も強く関係していると
思われるし、実際、「沖縄移住ブーム」なるものも、こうしたメディア経由によって促進された
部分も大きい。)

このようにみると、日本の地域や都市のイメージは、日本国の首都である東京つまり
「中央」の発するメディアによって必ずしも正しくない画一的なイメージを植え付けられて
しまっているといえる。しかも、単にそうしたイメージ形成だけにとどまるのならともかく、
それが実際、経済活動や産業の活性化、ひいては人口の流出入にも影響を与えるようにも
なっている。こうした点は、とくに地方の場合、直に地域の活性化や衰退にかかわってくる
のだから、メディアの功罪はたいへんに大きい。

したがって、各テレビ局や新聞社などメディアは、今回の東日本大震災や福島原発の件で
クローズアップされた風評被害を契機に、あらためてそうした社会的責任を世間に対して
負っているのだという自覚をもって、番組の制作やニュース報道にあたっていただきたいと
思うものである。