2011/02/10

評価の高いレポートと低いレポート

今、大学教員の多くは学生の答案やレポートの採点時期。

学生のレポートを採点していると、よく書かているレポートとそうでないレポートが必ずあるものですが、私が担当しているある講義授業では、授業で取り上げた内容とそれに基づいた理解に立った上で学生に自由にテーマを設定させ、それについて論じたものをレポートとして提出することを課しています。

そこで、一言でいうと、やはり評価の高いレポートは、多少ぎこちなくても、一生懸命自分の言葉で語ろうとしていることが伝わってくるレポート。そして、そこで語っていることがしっかり自分のものになっていて、事例が地に足が付いているもの。

逆に、評価の低いレポートは、剽窃ではないものの、ほとんどどこかから取って付けて書いたようなレポート。一見よくできているようでも、学生が普段使わないような言い回しや用語が散りばめられていれば一目瞭然。私は講義系で人数が多い授業では、授業数回に一回の割合でリアクション・ペーパーを導入しているので、そこに書かれてある記述と照らし合わせてみれば、それが果たして自分の言葉かそうでないかということはすぐ分かります。

ということで、私の授業のレポート採点は、まず、私が読んで感心したレポートは文句なく優評価。一般的に見てレベルが高く、論理的な展開がうまくできているものも優。それに対し、そつなくまとまってはいるけれど、あまり、知的なチャレンジになっていないものは残念ながら良評価。つまり、論述の根拠は示されているが、問題設定に書き手の個性があまり見られず、リアリティのない紋切り型の言い回しに寄りかかっている類のもの。そして、感想文レベルのもの、ほとんどコピペだろうと思われるもの、論拠が示されていないものは可の評価という感じになります。


大学というところは、高校までのように、たんに教科書に書かれてある記述をそのまま覚えるのではなく、いうまでもなく「考える力」「発信する力」を身につける場所。とくに私が専門としているような社会科学系の科目にはそれがいえます。

したがって、事実はひとつでも、一つの問題をさまざまな角度から見つめることができていることと、そこから推測できることを手掛かりに、自分なりの「論を立てる」というプロセスが重要。学生には、このような認識に立って、レポート作成に取り組んでほしいと思うものです。

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